2007年12月31日月曜日

銀河鉄道999(劇場版)を観た

 私にとっての銀河鉄道999は、若き日の想い出そのもの。以前、銀河鉄道999(TVアニメ版)を全話観終えて、遠い昔、子供の頃の忘れ物を今取り戻したような、不思議な達成感を感じたものだ。
 
 そこで、感動を新たに、劇場版の銀河鉄道999を観ることにした。

(以下、ネタバレ)






 劇場版とTVアニメ版の最大の違いは、鉄郎の年齢の設定が違うことだ。TVアニメ版は10歳、劇場版は15歳。劇場版では、鉄郎は、母が殺されてから、鉄郎がメーテルに出会うまで、スラム街で何とか5年間生き延びたことになっている。だから、鉄郎の背は高いし、メーテルと一緒に旅をしている姿は、まさに恋人同士のよう。

 メーテルの謎めいた感じは更に深まり、色っぽさも格段に増している。TVアニメ版の母親ぶりと、どちらがよいかは難しいところ。ちなみに、私はどちらも好きだが。

 時間城の主が異なる部分も見所だ。TVアニメ版は、偽物ハーロックという、どうしようもないやつだったのだが、劇場版では機械伯爵になっている。つまり、時間城の攻略が鉄郎にとっての旅の目的そのものになっており、欠かすことのできない最重要ポイントなのだ。鉄郎の母が剥製として飾られているところや、時間城が錆びて滅びる際の音楽は涙もので、TVアニメ版以上に感動的な仕上がりとなっている。非常に素晴らしい。

 終着駅は、機械化母星メーテル。鉄郎は、駅に着くなり駅の放送に驚く。「何故、君の名前と同じなんだ?・・・」。鉄郎が「嘘だろ?」と嘆き、そして、メーテルの旅の目的を知り、メーテルを平手打ちする。メーテルが何故鉄郎の母の生き写しなのか、そして、メーテルの「真の」旅の目的は何なのかが明らかにされる。
 
 鉄郎は、機械化母星の破壊、機械化母星からの脱出に成功し、メーテルと共に地球のメガロポリスステーションに戻る。メーテルは、自分の本来の体に戻るために冥王星に行くようだ(冥王星でメーテルがひざまずいていたのは、自分の本来の体だった)。鉄郎は「もう逢えないのか?」と呟く。メーテルは首を横に振り、「いつか私が帰ってきてあなたのそばにいても、あなたは私に気が付かないでしょうね。」と悲しげに言う。

 そして、2人はキスをして、メーテルは999に乗る。「私は、あなたの思い出の中にだけいる女。私は、あなたの少年の日の心の中にいた、青春の幻影」。999はメーテルを乗せ、発車する。飛び立つ999と共に流れるエンディングテーマは、あまりに有名な、ゴダイゴの「THE GALAXY EXPRESS 999」である。(この曲、エンディングテーマだったのか・・・今日まで、オープニングテーマかと思っていた)

 素晴らしい。素晴らしすぎて、この文章を書いているだけで、また涙が出てくる。メーテルの表情、音楽、汽車の効果音、駅という場所、ナレーション・・・、全てが一体となって、素晴らしい雰囲気を醸し出している。映画が封切られた当時観た人は、どれだけ感動したのだろうか、想像も付かない程だ。

 ハーロックやエメラルダス等、話題がてんこ盛りで詰め込み過ぎの感もあるが、よくここまで1本の映画の中にまとめたものだなと感心する。2007年が終わろうとする今となっても、改めて観る価値のある名作だった。本当に感動させてもらった。メーテルはまさに青春の幻影だった。

 さあ、続いて、「さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-」も観ようかな。

0 件のコメント: